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また、どっかのブログで
「学会をやめると罰が出るぞー」的なこと書いて
学会員や批判者を脅してるつもりか(笑)
つーかこのブログ、相も変わらず池田“代作”の著作をコピペばっかりして芸のない奴だな(笑)
新人間革命をタッチタイピングの練習にでも使ってんのかな(笑)
オレもラン氏のブログを真似て過去の戸田会長の指導をコピペしてブログに載っけようか(笑)
くだらん学会の歴史をうだうだ書いているだけの、
それも全く真実からほど遠い新人間革命をコピペしてブログに載っけるより
戸田城聖全集から拾った戸田会長の指導を載っける方が
正しい教学が随所に書かれているのでより一層学会員のためになる。

しかしなあ、なんで学会員ってのは昔っからこんなワンパターンなんだろうな(笑)
なんかこう仏法と学会をうまい具合に関連付けておどろおどろしい雰囲気を醸し出して
会員を脅して学会につなぎとめようとする姑息で底の浅い池田のジジイと
学会本部執行部に乗っかっているだけだからな。(笑)
学会を裏切ったらなんで仏罰が出るのか文証を出せや。
そもそも創価脳患者の話の前提ってのが
創価学会イコール仏意仏勅の団体ってのが悪い冗談だ。
そういえば
「学会を裏切った原島嵩が孤独の中で病気に苦しんで死んでいった」ってのもあったな。
事情を知らなかった頃のオレは「学科を裏切ったら怖いことになるな」と思っていたが
それも学会のウソだったことが発覚した。
ウソ、ウソ、ウソ…。まさに嘘で塗り固められたのが学会の指導だったのだ。
真実なのはバリ活学会員がみんなで撲滅を祈念した日顕上人は矍鑠(かくしゃく)とされているが
池田大作は公に全く姿を現さなくなってから7年以上過ぎたってことだ。
重病で出てこれないのはほぼ確実だがこれぞ本当の仏法の厳しすぎる因果だろ。
唯受一人の血脈を相承された日蓮正宗歴代御法主に反逆し
日蓮正宗の御僧侶を軽んじ誹謗し痛めつけ利用しようとした池田大作。
そして会員にも御法主並びに御僧侶を撲滅祈念するようたぶらかした池田大作。
創価学会員八百万余世帯を戒壇の大御本尊様から引き離し
仏法史上未曽有の大謗法を犯した第六天の魔王池田大作。
最後にラン氏がコピペしている新人間革命風に言うと


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病に苦しみ、死をみすえた彼は、正法正義の日蓮正宗に敵対し、仏法に違背した罪の深さに、気づかざるをえなかったのだろう。仏意仏勅の団体である日蓮正宗僧俗を攪乱し、反旗を翻した罪はあまりにも重く、限りなく深い。
大聖人は『法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む』御書P1398と仰せである。かつて教学を(ほんの少し)学んだ彼は、病苦のなかで、わが身の罪業の限りない深さに気づき、恐れおののき、地獄の苦にあえぎ続けていたにちがいない。しかも、その業苦は生々世々にわたることであろう。




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一時は動執生魏が成功しつつあり
学会と池田センセに疑いを持ち出したと思ったオレの兄弟も
最近「危機的状況」に陥って
「危機的状況になったのは池田先生の悪口を言ったからだ」と思い込み
今度は逆に学会に対しての「確信」を深めてしまった。
オレの声は全く届かなくなった。
うちの親に少しでも正宗に対する偏見を和らげようと
正宗の話をしようと死んだが正宗の名前を出すだけで
急に怒りだし発狂するようになった。
で、凄い勢いでオレを罵倒するんだ。
もうこれは何も話せない状況になってしまった。
オレと親の「喧嘩」を知ったオレの兄弟は電話で連絡してきて
オレの兄弟曰く
「もう親に日蓮正宗の話はするな
生涯学会から離れる気は両方ともない。
○○も少なくとも親が死ぬまで正宗にはいくな。
オレが正宗側に行っていると親が悲しむから
(親が)生きている間だけでも正宗にはいかずに親を安心させてやれ」
と言われたがそういうわけにもいかず
電話越しに言い合いになった。
会則変更の事、
戸田会長の指導とイケダダイサク、そして今の創価学会の言っている事と全く違う事
御書を引用して大聖人が仰せの事と学会が言っている事と違う事
全部話したがオレの兄弟の答えは
「そんな難しいことは知らん。そんなもん関係ないねん。
生涯学会から離れないと誓ったんや。
学会員にはいろいろお世話になった。
だから絶対に学会から離れない。」
「いや、信心なんて人情でするもんちゃうやろ。」
「わかってる。でも学会から離れないのは理屈ちゃうねん。
日蓮正宗の話をして親と喧嘩するなよ。
とにかく親を悲しませるから正宗にはいくな。」
「別に喧嘩してるわけじゃないよ。学会では無間地獄確定やから
オレも親に正宗に来てほしいねん。
それにオレにもオレの信心というもんがあるからな。
正宗側には行くなというのは絶対のめんが
そこらへんは「うまいこと」やるわ。
でもオレも(家族を折伏することを)絶対あきらめんからな。」
そういって電話を切った。

オレもそう簡単に家族を折伏できるとは思っていない。
でもよぉ、今回の一件はオレの力の無さを痛感したね、悔しいね。
「オレの家族全員を不幸にしやがって、こいつだけはゆるせねぇ。」と
一瞬、イケダダイサクのことが頭をよぎった。
で、オレ自身の宿業の深さも頭をよぎった。
ほとんど今は「詰んでいる」状況だからね。
外部から攻撃されるよりもよっぽどつらいぜ。
四六時中、仕事中でもプライベートでも
そのことで頭がいっぱいでほかの事が手につかん状態なのよ、今。
仕事中には仕事に集中しなきゃあいかんが
心配で心配でたまらんからね。
まあなんとか無理やりにでも集中力を保っているけど。


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■悪象の為に殺されては 三趣に至らず 悪友の為に殺されては 必ず 三趣に至る
                     (立正安国論P21)
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絶対にオレの家族を創価なんかに殺されてたまるかよ、こんちくしょー。
オレの全生命をかけて家族の折伏はやり抜かねばならんのだ。
どんなこと障害があってもやり抜かねばならんのだ。




創価脳患者の話をいろいろ聞いていると
なぜ彼らが創価学会を正しいと思うのか非常に疑問に感じた。
法門法義の話をしない、コロコロ会則並びに教義が変わっている、
池田センセの言っていることが変わっているのに
それに気づかず相も変わらず学会は正しいことを繰り返し主張していた。
それで思ったんだ。
なぜ彼らが創価学会を正しいと思うのか。
それは彼ら創価脳患者が繰り返し主張している事だった。
それは過去、創価学会が戦後一時期、爆発的に会員を伸ばしたこと、
それを創価学会の「正しさ」の根拠にしていたのだった。
その一点をもってして「学会は正しい」と主張しているのだ。
その一点をもってして「池田センセは素晴らしい」と思い込んでいるのだ。
確かに過去の一時期会員を爆発的に増やしたことは事実だ。
しかし過去の広宣流布の成果にしがみつき、その一点のみを強調して
未来永劫の学会の正しさの根拠とする姿は滑稽極まりない。
そしてそのことを年がら年中、オウムのごとく繰り返している。
正しい正しくないという言葉は法門法義、並びに本尊に対してこそ用いるべきであって
「正しい」法門、「正しい」本尊を広めたのは確かに「立派」なことだが
「正しい」本尊を広めた人が「正しくなる」訳はない。
しかもそれももう過去のこと。
今は彼ら昔の学会員が広めた本門戒壇の大御本尊を捨てた。
捨てた、そう、大御本尊様を捨てたんだよ。
三年前に学会がにべもなく捨てた大御本尊を広めたことを自慢してる、
大御本尊が持(たも)つに値しないものと学会員が考えているものを
広めたことを自慢しているピエロ、それが学会員。
もう過去の栄光にこだわるのやめたらどうですか。
昔学会員が広めてきたものを学会は捨てたんだからね。



創価系ブログを読んでいると必ず
「学会を誹謗中傷すれば罰が当たる」と言う奴がいる。
これを見るたび聞くたびに大笑いしてしまうんだが
書いている本人、言っている本人はいたって真剣だ。
「法華経」や「法華経を持(たも)つ人」を誹謗すれば確かに罰が当たる。
と言うことは学会イコール法華経と言うことになる。
連中は学会イコール法華経と言う前提でシレッと話を進めているのだ。
根拠のないことをさも当たり前のように話を進めていて
会員の頭に刷り込んでうまい具合に会員を怖がらせている。
大体この前提自体当然誤りだ。
文底の法華経は戒壇の大御本尊である。
その大御本尊を受持の対象にしないと言っているのは学会の方だ。
少なくとも大御本尊を持(たも)っているのは日蓮正宗の方であって学会ではない。
学会を批判すればなんで罰が当たるかちゃんと法義上から説明してみろよ。
学会に仏力法力を出だす「仏」なんか存在しないだろ。
その「仏」ってまさか創価学会仏か(笑)
そんなどこの馬の骨ともわからない自称「仏」なんか怖くねぇよ(笑)
そんなの魔仏じゃねぇか。
大勢の学会員を無間地獄に叩き落とす魔仏、その名は創価学会仏。
どっからそんな「仏」が湧いてきたのかな。
功徳と罰を出す「仏」様がないから功徳も罰も出ないに決まっている。
アホみたいなやつが何の根拠もなしに
「学会を批判すれば罰が当たる」なんかほざいているが
ふざけんなと言いたい。
あんなもん何の法義的根拠もない単なる脅しだ。
バリ活学会員学会を法華経と勝手に決めつけている暴言妄言の類だ。
非学会員の皆様~あんなこけおどしなんかに惑わされてはいけませんよ。
学会をやめても罰なんか当たらないし、批判しても罰は当たらない。
むしろ罰、と言うより厳罰が当たるのは一大秘法の大御本尊を捨てた学会員ですよ~。




今までオレが主に活動していた学生部時代を思い出すことはなかった。
学会の誤りに確信を持ってから活動家時代をよく思い出すようになった。
みんな元気かなと心配することもある。
懐かしい先輩後輩の顔だけでなく声も今でも思い出すよ。
あの活動家時代は・・・お腐れ様幹部もいて思い出すとイラッとする時もあるが
懐かしいと思う時もたまにある。
少なくともあの時代、共に過ごした濃密な時間は忘れられない。
あの時あの人があんなこと言ってたとか
あの場所でよく打ち合わせしたなとか
自転車でよく家庭訪問まわっていたなとか
家庭訪問に行った家の様子とかも
今でもはっきり覚えている光景が記憶にあったりする。
誤った仏法紛いのもとには二度と帰ることはないが
いい先輩後輩同期もいてみんな創価の誤りに気付いてほしいと願うまでだ。
あの三年前の会則変更、と言うより本尊義の変更を見て
あの時一緒に活動したみんなは何を思うのだろうか。
残念だがほとんどは何も思うまい。
信心とは名ばかりの、上の打ち出しに疑いを差し込むことはなく
単に創価学会という組織の言うことに何も考えずについて行っているだけ。
学生部時代、ほとんど御書なんて読まず
家庭訪問の数、
FやZという選挙の数、
折伏と言う名の勧誘数、
各会合の結集数、
未活から活動家に育てた数、
数字、数字、数字に追われる毎日・・・。
三大秘法なんて一切教えられていない。
これっぽっちも学生部幹部、そして男子部活動家の口から出てきた覚えはない。
オレの所属していた学生部、オレが活動していた時代の学生部には
もうすでに大御本尊への信仰なんてなかったのだ。
大御本尊を知らないオレらの世代には大御本尊の事は教える必要もないと、
宗門へ意識が向かないようにする学会本部の戦略だったのか、それは知らない。
しかし学会員の信仰は大聖人を信じていると口では言いながら
実際はイケダダイサクを信仰していて・・・いやそれすらも怪しい。
実際は創価学会と言う組織を信じているのだ。
だからこそ心配で早く目覚めてほしいんだよ。
実は今まで学会が言ってたことなんてまるっきり嘘なんだぜってね。
そして一刻も早く
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰」しましょう。




今の時代ネットで何でも検索できて非常に便利な時代になったものだが
ネット情報を語る時決まって「玉石混交」と言う言葉が使われる。
確かにネットは無責任な個人も容易にブログ等で情報を発信できるし
信ぴょう性が低い一部のサイトもあることは知っている。
2000年前後、ちょうどインターネットやパソコン、ケータイが一般に広まりだしたころ
学生部幹部として学会活動にいそしんでいたが
ネットの悪評を学会が抑え込みたいのか
「ネットは玉石混交」
「ネットの情報派出所不明だから絶対信じるな。」等上からの指導があった。
でもオレはこの言葉を聞くたびに

「玉石混交」は別にネットに限ったことではなくて
ネット以外の既存メディアも同じく「玉石混交」でしょう

と思ってしまうんだよな。
テレビ、ラジオ、雑誌、週刊誌、新聞、そして本・・・等既存メディアも
全てが全て信用できるかと言えばそりゃないでしょと思う。
実際テレビでもやらせ問題がたまに報じられるし
新聞も最近記事を捏造したとかで朝日新聞が責められとる。
ネットのサイトを出所不明だから信用できないと創価脳患者はいうが
ではネットに上がっているランとか言う人のブログはどうなんだよ(笑)
「極悪なんチャラ」も出所不明だからな、日顕上人に対する邪難も信用できんな(笑)
では、出所が不明だから信用できないというなら出所がはっきりしている書籍はどうか。
藤原弘達の「創価学会を斬る」、「池田大作の品格」等の小多仁伯氏の本はどうか。
これは出所がはっきりしているぞ。出所がはっきりしているから創価脳患者は信用するか。
出所がはっきりしているいわゆるアンチ創価本は信用するか。
答えは絶対に信用しない、するわけがない。
なんやかんやと適当に信用しない理屈をでっちあげて
難癖をつけて著者を腐して結局本の内容は信じない。
特に学会では「臭いものに徹底的に切り込む」週刊誌が憎くて憎くて仕方がないのか
学会内で週刊誌を徹底的に貶めようとしていた。
曰く「週刊誌が学会を批判するのは学会を叩けば週刊誌が売れるんだ。
だから売り上げを上げるために学会を批判するんだ。」云々。
曰く「日本では名誉棄損の賠償金が非常に少ないんだ。
だから学会にいつも訴えられて賠償金を払わされているんだが
名誉棄損の賠償金を雑誌の経費の中にすでに組み込まれている。
そういう賠償金も全て計算に入れて学会のウソを書きなぐるんだ」云々。
「あんな品のない週刊誌なんか信用するな」云々。
「みんな週刊誌なんか信用していない」云々。
当時盛んに創価学会の闇を報じる週刊誌をこう会員に吹き込んでいた。
それが学会のプロパガンダのうまいところで
一部の小さな短所、欠点をまるでそれが全てのように話を膨らませるんだよな。
確かに週刊誌は下品な記事もあることは確かだが
それを以て全く信用できないというのはいい過ぎでしょ。
なぜなら大手マスコミが報じない政治スキャンダルを幾度となく暴いているからだ。
むしろスポンサーや株主に絡め取られている大手マスコミよりも
政治面、社会面でのスクープは週刊誌の方が多いんじゃないか。
こういう事実を提示しても創価脳患者はアンチ記事を書いた週刊誌を信用できないというだろう。
それが創価脳患者だ。
例えば学会が破門される直接の原因となった池田センセの宗門批判の録音テープすら
出所不明の改ざんテープと言ってはばからない連中なんだからな。
そもそもそのテープのどこが改ざんされているんだよ。
当然ネットに転がっている御本尊模刻の画像も信用しないし
芸者写真の捏造写真と改ざんされる前の写真を見せても
ネットの情報は信用できないと言ってはばからないんだもんな。
で、彼らが信用する物と言えば聖教新聞、創価新報、そして人間革命だ。
あの人間革命を事実として読むんだからな。
しかもその人間革命も改訂されているしな。
こっちのほうがよっぽど信用できんわ。
学会員のみなさ~ん、あんな小説なんか読んでも全く無意味ですよ~。



以前創価カテで一位だった某ブログに
「極悪なんチャラ」がまたぞろ因縁をつけていた。
以前某ブログで「あなた方程度の教学力では」と言われたことを
いまだにねちねちねちねち根に持っているらしく
「日蓮仏法を学びながら平然と人間を軽賤する輩」
と言うタイトルの記事で攻撃し始めた。
オレからすればそんなしょうもないことで根に持つなよと言いたいが
よっぽど悔しかったんだろうな(笑)
かくいうオレも他人のブログをあんまり批判しないと自分で言っておいて
思いっきり批判しまくっているけどね(笑)

『提婆達多は、人間を軽蔑し、厭悪(えんお)した。彼は自らあらゆる醜悪なる人間性の所有者、経験者であったために、凡(すべ)ての人間は彼の眼にさながら、汚穢(おわい)なる五臓六腑(ごぞうろっぷ)のままに見えた』(中勘助著 「提婆達多」)
 さて、この創価カテにも「提婆達多」さんのような『人間を軽賤(きょうせん)する』方がいらっしゃるようである。


誤↓
 なぜ、アンチ創価を名乗りながら、わざわざ創価カテに登録し、愚痴めいたことを並べ立て、学会員のあげ足をとったり、悪口しているのだろう、と考えてみた。
きっと実生活において満たされていないのだあろう。幸せなら、わさわざネット空間で吠える必要はないからた。学会員を叩いて、ストレスのはけ口にしているにすぎない。


正↓
なぜ、わざわざブログ村の創価カテに登録し、愚痴めいたことを並べ立て、宗門のあげ足をとったり、悪口しているのだろう、と考えてみた。
きっと実生活において満たされていないのだあろう。幸せなら、わさわざネット空間で吠える必要はないからた。日蓮正宗僧俗を叩いて、ストレスのはけ口にしているにすぎない。


誤↓
ここは、あなたたちが愚痴り、恨み言をいう場所じゃない。
とっとと、このカテから出ていきなさい。
人の読解力がどうのこうの難癖をつけるまえに、
自分自身の生命をみつめなさい。


正↓
ここは、あなたたちが愚痴り、恨み言をいう場所じゃない。
とっとと、ネットから出ていきなさい。
人の誹謗中傷で日顕上人に難癖をつけるまえに、
自分自身の生命をみつめなさい。


誤↓
正宗の信仰に確信をもち、歓喜しているならば、こんなところで
愚痴ってないで折伏にいってくればいい。
そしてその功徳の体験のひとつでもブログに載せてごらんなさい。


正↓
学会の信仰に確信をもち、歓喜しているならば、こんなところで
愚痴ってないで折伏にいってくればいい。
そしてその功徳の体験のひとつでもブログに載せてごらんなさい。


以下、8月14日付 今日の聖教新聞 新人間革命 雄飛 五十一より

『これまでに、実践なき偏頗(へんぱ)な教学に陥り、われ偉しと思い、傲(おご)り高ぶって、健気に信心に励む同志から嫌われ、退転していった人もおりました。まことに残念でならない。私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布を推進するための教学であることを、あらためて確認しておきたいのであります。』

創価教学とは""実践の教学""であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探求である。

「創価教学とは""実践の教学""であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探求である。」
なら直接ブログへコメント書き込んで破折してこればいい。
“実践の教学“というものをあんたが”実践“して見せてくれ。



よく学会員が日蓮正宗を攻撃する材料として
日蓮正宗僧俗の不正腐敗を挙げる。
まあ、正宗僧俗と言っても確かに末法の荒凡夫だから
そういった不正腐敗や人間同士のいざこざはあるだろう。
それはしっかりと撲滅していかなければいけないことであると思うし
変えていかなければいけないことであるかもしれないけれども
それは宗教にとっては枝葉末節の問題だ。
宗教にとって一番大事なのは教義、特に本尊の正邪だ。
そもそも仏教の目的が一生成仏であり一切衆生の幸福でしょう。
それを達成するためには正しい本尊に帰命しなければいけない。
ところが今の学会員は学会の本尊がなぜ正しいのか言えない。
かくいうオレも学会のあやまちに気づくまでは
ノー天気にあの日寛本尊が正しいと思っていた。
「思っていた」と言うより思う以前に疑いそれ自体がなかったのだ。
あんな魔入りの本尊に祈っていたと思うとゾッとする。
御書も勉強せず、ノー天気にあの相貌に祈れば祈りがかなうと
単純に思い込んでいた自分自身を今では恨めしく思うね。
もうちょっと早く気づいていればと死ぬほど後悔してるよ。
そして死ぬほど恥ずかしく死ぬほど情けないだな。
自分が拝んでいる本尊が何たるものか知らなかったわけだし。
勉強し始めてから学会員の本尊に対する
とらえ方の異常性をよく認識できるようになった。
ある人はあの日寛本尊を正しい本尊と言い
ある人は己心こそが本尊だと言い
ある人は本尊なんかいらないと言ってみたり・・・。


****************************************
■諸宗は本尊にまどえり
                      (開目抄 下P215)
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との御金言通り創価学会はまさに本尊雑乱の邪宗と化した。
今の創価学会がたとえ麗しい団体であったとしても
誤った本尊の帰命するのは地獄の業だ。


****************************************
■善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし
(開目抄 下P232)
****************************************


との御金言通りたとえ日蓮正宗が腐敗して僧侶が贅沢三昧していても
戒壇の大御本尊から離れていい理由にはならない。
戒壇の大御本尊から離れては成仏できないのだ。
オレも一刻も早く大御本尊様にお目通りしたいよな。


創価妄信ブログを見てみると
ホントに気分が悪いよ。
「極悪なんチャラ」とかいうブログがまた
日顕上人に対して誹謗中傷のかぎりをつくしている。
日顕上人の暴力云々と書いてあるが
ここまでいったら名誉棄損で訴えてもいいレベルじゃね。


先日、某三人組が書いた「実名告発 創価学会」を
読み終えたオレの親が感想を聞かせてくれた。
あの本を読ませたのは新人間革命が代作で
しかも各国の著名な識者との対談本が
「識者(創価学会のおかげでこの言葉を聞くと急に懐疑的になり、
おもわず笑ってしまうようになった。)が
実を言うと池田センセと直接対談して作ったものではなくて
学会本部の専門チームが作成したものを
池田センセの名で出しているだけと言う「事実」を知ってもらったうえで
今まで信じていたであろう
「人間革命は池田センセが直接史実を書いたものだ」とか
「世界の識者と直接対談して識者は感銘を受けている」というのは
ウソですよーと言うことを突破口に
少しでも学会に対して不信感と言うか疑いまではいかなくとも
疑問点をオレの親の中に作りたかったんだ。
結論から言えばまあ予想通りなんだが
「フン」と鼻先であしらってあの三人組を反逆者、退転者と呼んで一蹴した。
まぁ、そうなるわな。
オレの親や末端の会員からすれば学会本部というのは
「絶対的正義」でそこから一ミリでも離れたら
反逆者、学会に弓を引く裏切り者だ。
あの三人組は水戸黄門の印籠よろしく師匠池田センセの名前を出せば
会員はすぐにでも同調し、反創価執行部への抗議の狼煙が上がるとでも
単純かつ無邪気に思っているのかな。
それでも全国でコンスタントに彼らの座談会に学会員が集まっているらしいやんか。
実を言うと八月下旬に彼らが関西で座談会をやるらしい。
彼らが日蓮正宗を「日顕宗」と呼んで「邪宗」なんてふざけたこと言うので
彼らが主催する座談会に乗り込んでいったろかと思ってたんだが
その日は残念ながら休めなかった。

話を戻すが、「人間革命は師匠池田先生の御精神が脈打っている」と某三人組が言ったところで
池田センセを単純に信じているオレの親やその周辺の学会員からすれば
「人間革命は池田先生自ら身命を尽くして書いて」いて
「人間革命に出てくることはすべて真実」で
「世界中の知性、識者が池田思想、池田哲学に感銘を受けて」いて
「直接池田先生に会った世界の知性は池田先生の人格に心を動か」され
だから「聖教新聞に載っている学術称号授与はすべて真心からの受賞」であり
「池田先生と学会本部職員は会員と広宣流布のために異体同心で奔走して」いて
もちろん学会本部は「不正をする不届き物は極々少数出るが、
不正をする職員は適切に処分され、学会本部は清浄に保たれて」いるというのが
オレの親世代の「信心の確信、否、大確信」なんだよ。
その「確信」から一ミリでも外れたことをたとえ事実でも言えば自動的に反学会になり
それを学会員が言えば反逆者、退転者、信心に疑いを持つ不信心者になる。
そしてその学会に対する疑いの心を「元品の無明」とか言ってたな(笑)
うちの母親のお友達さんにもこの本を紹介したが
鼻先で笑って「そんな反逆者が書いた本なんか信用できんわ」と言っていたな(笑)
ダメもとでほんの少しは疑問感じてくれるのではないかと思っていたが淡い期待だったな。
まあ初めからわかっていた反応だが、あ~あ残念無念。




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