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スパムかよ

全般

2018-01-29

以前「創価学会の記念日を嗤う」と題したオレの記事に
やたらめったら外国人と思しき人からよくコメントが来るんだが
英語ではない恐らくはポルトガル語で書かれたコメントがコンスタントにくるんだが
これなんなの?はっきり言って読めん。
しかもこの記事に対してのみ。
意図が全く分からんのだ。
純粋なコメントなのか、それとも嫌がらせか、そうかスパムだな。
全くうっとうしいもんだな。


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創価系ブログを見ると創価学会は世界に広まっているようやで(笑)
おめでたい脳みそしているなとしかオレは思えへんのやけどね
発言している創価脳患者さんはどうも本気で思い込んどるらしい。
これぞニセ本尊の魔力か(笑)
麻薬を打たれて幻覚が見えているらしい。
まあそう思うのは勝手やけども、仮に海外で広まっているとしても
日本国内にある創価脳患者さんの足元では創価学会は衰退しているんじゃい、確実にな。
いくら聖教新聞で拡大だの前進だの勝利だの言ったってねぇ
そんなのお宅らの地域の会合を見ればわかるでしょうよ。
学会の公式ホームページを開いたって827万世帯からいっこも増えてへんやんか。
そりゃ毎年毎年増やしとったら現実とホームページ上の数字の乖離がひどくて
いくらアホウでもおかしいことに気づいてまうからな。
で、日本国内の会員は海外の実態を知ることができへんからね。
海外で発展しているとウソこいとるわけや(笑)
「海外の発展」を喜ぶのええけど
池田センセはとある偉人の言葉を引用して
「足下を掘れ、そこに泉あり」と御指導されていたぞ。
海外にばかり思いをはせるよりも
もう一度自分たちの足元をもっとちゃんと見つめた方がええんとちゃうか。
おまえらの「足下」には泉でなくて肥溜めでしかないな。
「足下を掘れ、そこに肥溜めあり」
オレも創価の肥溜めにはまり込んで謗法のクソにまみれて苦しんでいる。
実際にオレの命は謗法まみれでウ○コくさい。
いや、戒壇の大御本尊を否定した学会員の足下を掘れば(学会活動すれば)
そこには無間地獄しかないのである。

それはそうと、昨年末ある学会男子部員の人とたまたま出会って
少しほど雑談した後、オレが学会から脱会したことを伝えると非常に驚いていた。
彼はあんまり活動していなくオレが脱会したことを知らなかったらしい。
だからそれまでは着信拒否されてなかったと思うが
年明け彼を折伏しようと電話を掛けたらまた着信拒否された。
それやられたときはものすごくショックだったな。
オレが着信拒否されたことそれ自体よりも
折伏が封じこめられたことがくやしいぃてくやしいぃて。
オレの家に来ていろいろ言ってくるのは壮年部の人やし。
まさか地元男子部がこんなに腰抜けやったとはな。



創価学会が宗教団体というよりももう政治団体と言った方が正確になりつつある。
いや、もともと戸田会長の頃から政治権力に対して野心を抱いていたんだろう。
確かに戦後戸田会長が創価学会を立て直したときは少なくとも表面的には
ご宗門指導の下に折伏活動を純粋に行じていた団体であったことは確かだ。
確かに選挙戦もあってその当時でもむちゃくちゃやっていたみたいだが
それでも選挙は従で折伏が主だった。
昔から創価学会は宗教活動に精を出してきたように
思っているアンチ創価学会の人もいるみたいだ。
でも本当にそれは事実かということだ。
一度オレの活動家時分の事を少し振り返ってみることにした。

オレが活動家の頃、法戦と称する戦いに入ると
部内の雰囲気がガラッと変わるんや。
早朝6時くらいに地域拠点の部員さん宅で勤行唱題してから
仕事に行ったり学校に行ったりする。
女子部や婦人部は知らんが
オレが活動家時代は男子部、男子学生部はそうやっていたな。
折伏と称する勧誘活動の期間でもそんなことはせーへんかったで。
で、その法戦期間中に友人を折伏して四者の幹部に合わせると
ものすごーく嫌な顔をされると言われたことがある。
選挙の戦いで忙しくて入会勤行や御本尊流布ができないからというのがその理由だった。
これが創価学会が折伏という宗教行為よりも選挙を重視している(た)状況証拠や。
それは少なくともオレが学生部活動家の頃から、
すなわち池田センセが現役バリバリの頃から
宗教活動よりも政治活動に重きを置いていたんやろ。
除名三人組のブログではそれを何を今更

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今の学会は、選挙があると公明支援一色になってしまう。しかし創価学会は宗教団体である。自分は選挙屋ではない!今の創価は絶対おかしい!何としても三代の師匠が築かれた温かな創価に変えていきたい!!
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だ!?舐めてんのかよ。この記事読んで一瞬血が逆流してもうたわ。
なんとかして池田センセの無謬性を守りたいんやろうが
そんなの池田大作が元気な時から創価学会は選挙屋だったじゃないか。
しかもこの除名三人組は元活動家やろ。
それだったら学会活動の現場がいかに選挙に力を入れていたかわかるはずや。
それをいけしゃあしゃあとあたかも学会が
選挙屋に成り下がったのを原田会長に全ての責任を押し付けているんや。
池田センセは50年間創価学会のトップに君臨していたわけやろ。
それも創価学会の師匠として絶大な影響力を会員に持っていたわけや。
池田大作が悪くないわけないやろ。
池田センセが悪くないんなら
じゃあ池田センセは50年間何をやってきたんじゃ。
広宣流布の陣頭指揮を執ってきたんやろ。
それに一度ブログで書いたが原田氏を会長に選んだのは池田センセでしょ。
閣僚が不祥事を起こせば総理大臣は任命責任が追及されるやろ。
創価学会も同じや。
原田会長が悪いというんなら
それを任命したイケダダイサクも任命責任を問われて当然や。
それをなんで池田大作だけが責任を逃れられるのか。
確かに学会の不正腐敗がこれほどまでに顕在化したのは初めての事である。
池田時代から完全に腐っていたんだよ。
それも池田時代の頃は社会的に大問題になるような事件を多数引き起こしておいて
池田創価学会が麗しい団体だったなんてへそでちゃー湧かすで。
まっ、こいつらは創価学会が大事件を本当に引き起こしたことなんて
「週刊誌に書かれた内容はすべてウソ」と言いながら
絶対認めようとはしないやろうけどね(笑)
社会的に見れば大問題を起こしていないだけ世法上では原田会長の方がまだましやわ。
とにかく池田センセの無謬性を守ろうと原田会長以下今の創価執行部に
責任をすべておっかぶせようとする池田教徒は卑怯で卑劣や。
オレはこいつらの卑怯で卑劣な人格がどうしても許されんわ。
口先ではええことゆうとるけどやっていることは
自分たちの過ちを一切認めようとしない卑怯卑劣な連中や。
そんな連中に「日顕宗」とか言われると血ぃ沸騰してまうわ。



なんかすごいことになっているらしいね。
ちょっとでも批判すれば査問になるの、創価学会って。
まあ昔から批判を絶対に許さない体質だったのは知っているが
それは誰の目にも触れないよう批判を抑えつけていた。
しかし、ついにあからさまに人目に付くようにやりだしたな。
やっぱり臆病なほど慎重な第六天の魔王池田大作の魔力が弱まって
しかもネット社会に移行しているという社会情勢の中で
本性を隠し通す力というものが確実に弱くなってきているな。
ここまで学会の腐敗が誰の目にも明らかになってきているのは
創価学会が好きな人には申し訳がないけど
オレとしてはありがたいことだ。
「通知書」の内容も学会の傲慢な体質がそのまま表れている。

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申請の理由 被申請者は、平成26年よりインターネットの掲示板に当会の執行部を「極悪」などと批判する投稿を始め、平成28年2月からは当会を除名された者らと連携して執行部批判の活動を行うようになり、同年7月以降所属組織の幹部から繰り返し指導・注意を受けても改めずに執行部批判の言動を続けたものである。
 被申請者のかかる行為は、当会の指導に反し当会の秩序を乱すものであるとともに、会員としてふさわしくない行為であって、当会もしくは会員に迷惑を及ぼすものである
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かつて日蓮正宗創価学会時代、宗門を
周りの学会員が宗門御僧侶を批判するとき
いかに学会員が宗門御僧侶から
いかにいじめられたかをさんざん聞かされた(そのすべてが伝聞)。
それがたった30年弱で今度は学会執行部が末端の会員をいじめとる。
「執行部を批判すれば会の秩序を乱す」というので査問にかけるのであれば
27年前、創価学会が宗門にやったことも当然正しいということになるな。
戒壇の大御本尊を受持の対象から外してたった3年で
本格的な自界本逆難がやってきたな(笑)



今年はごっつぅ寒いな。
ホントに寒いよ。
オレが住んでいる地域はいつも雪はほとんど降らないし
地面が凍結することもないから言えることかもしれないけど
やっぱり冬はこうでなくちゃね。
夏の暑さには耐えられないけど
冬の寒さは好きだ。



あけましておめでとうございます。
今年は本格的に仏道修行に邁進していきたいと思っております。
出来る限りの寺院参詣、折伏、法華講活動に気合入れていきます。
で、今年一発目にオレのおかんと話したが
一度創価学会を脱会して法華講に入講してから
また創価学会に戻ってきた人の話を持ち出して
やっぱり法華講員は非常に冷たく
創価学会の人は温かいと言ってはばからない。
オレの親に突っ込んで聞くと
実際にそういっている人に直接話を聞いたわけではなく又聞きらしい。
こういう噂話はオレも活動家時分に弾に耳にしたことがある。
オレの場合は「寺に行ったら金の話ばかりで全然仏法の話をしない」で
法華講の人たちが不満を学会員にぶちまけていたという話だ。
オレが聞かされたことに関しては九分九厘嘘だと断定できるが
オレの母親の話は実際確かに法華講員は学会組織からすれば
ちょっとさみしいところがあることは確かだ。
住まいの近くの寺院に所属するわけではなく有縁の寺に所属するので
遠くから来る人も結構な数がいる。
だから何かあった時に励まし合ったり
普段からご近所づきあいとかもない場合も多い。
でもよくよく考えたら宗教団体に何を求めているのか。
世間一般でもそれぞれの「場所」にあった目的がある。
むしろそのそれぞれの目的のために当該団体があるわけだ。
例えば、学校は勉強するため、会社はお金を稼ぐために。
そして宗教団体は正しい宗教を信じて実践するためでしょ。
学校、会社、宗教団体に共同体としての機能を一切求めるなとは言わんが
それぞれの場所が果たすべき目的を脇に置いておいて
人間的なつながりだけを求めて籍を置くことにすごく違和感を感じるんだけどね。
だからオレに言わせれば法華講の人間関係が希薄だと言われても
「じゃあ、あんた宗教団体に何を求めてんの?」って話になるんだけどね。
共同体的な人間的つながりが大事であることは確かにそうだが
それはその団体の目的を果たしているというのが前提であり第一義にあるでしょ。
団体が果たすべき目的を忘れて共同体としての機能のみを求めるのは
本末転倒だと思うんだけどね。
オレの親には早くそのことに気づいてほしいよ、ったく。



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